坂網鴨猟は、石川県加賀市の片野鴨池周辺でのみ行われる伝統的な鴨猟のことです。その始まりは江戸時代の元禄年間。大聖寺藩の武士の冬の鍛錬として主に行われました。
夕暮れ時、鴨が池から一斉に飛び立つ30分ほどだけが猟の時間。猟師は坂網と呼ばれるY字の網を持ち、鴨が飛んできたほんの一瞬を狙い、網を真上に投げて鴨を捕えます。
あえて鉄砲を使わず行われるこの猟は、県の有形文化財にも指定され、昔ながらの猟具・猟法で今も行われる全国でも貴重な猟法です。
坂網鴨について
片野鴨池(石川県加賀市)での坂網鴨猟は、坂網と呼ばれる全長約4m、重さは1kg弱くらいのY字型の網を使います。 猟師は頭の上をカモが飛んでくると、この坂網を真上に投げ上げます。そうすると、飛んできたカ…
夕陽が沈み、辺りが暗くなると、遠くまで餌を食べに行っていたハクチョウやガンが、片野鴨池に戻ってきます。すると、昼間は池で居眠りしていたカモたちが目覚めはじめ、自分たちも餌を食べに飛び立つ準備を始めます…
坂網鴨猟が行われる片野鴨池は、石川県の西端にある加賀市の片野町に位置する10ヘクタール程度の池と湿地で構成されています。 すぐ北には日本海があり、片野浜の海水浴場では、踏むと「キュッキュッ」と音がする…
片野鴨池での坂網鴨猟の始まりは、江戸時代初期の元禄年間。犬公方として有名な5代将軍・徳川綱吉の時代だと言われています。 加賀藩の支藩である大聖寺藩10万石の藩士、村田源右衛門が海へ魚を獲りに行った帰り…
片野鴨池での坂網鴨猟は、5代将軍徳川綱吉の時代にあたる元禄年間には行われていたようです。まだこの時期は武士ではなく、猟師が行うものでした。 しかし、8代将軍徳川吉宗が活躍した享保年間ごろには、広く大聖…