坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち

2020年11月18日
更新回数:4回

坂網鴨猟が行われる片野鴨池は、石川県の西端にある加賀市の片野町に位置する10ヘクタール程度の池と湿地で構成されています。

すぐ北には日本海があり、片野浜の海水浴場では、踏むと「キュッキュッ」と音がする「鳴き砂」を体験することができます。

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

片野鴨池は多くのマガンやヒシクイが越冬するほか、マガモをはじめ全国的に個体数が少ないトモエガモなど、多くのカモ類が越冬する日本有数の水鳥渡来地です。

この重要性から、石川県の天然記念物(1969年に指定)やラムサール条約登録湿地(1993年に指定)などに指定されています。

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

カモたちは例年、9月末から10月初旬にやってきて、翌年の3月ごろまで片野鴨池で越冬します。江戸時代からガンやカモが多くやってきており、その数は2・3万羽とも5万羽とも言われました。しかし、近年は水田が湿田から乾田に変わったことや、片山津温泉のある柴山潟や小松市の木場潟などが、銃での猟が禁止の区域になったこともあって、3千羽程度まで減少してしまいました。とはいえ、今でも全国有数の渡来地であることには、変わりありません。

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

池の周りは水田と山林が混じった丘に囲まれており、丘には多くの松の木が植林されています。カモたちは池を飛び立つと、丘に植えている松の木の高さに沿って飛び立ちます。

坂網鴨猟師は松の木に隠れて、低く飛び立つカモを捕まえるのです。

松の木は、元々は砂防のために植えられたものですが、カモは松の木の高さにあわせて飛び立つこと、また針葉樹は冬でも葉が落ちないため、猟期の冬でも鴨から身を隠すことができ、猟師にとってとても大事な存在となっています。

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

松の木は低く刈った方が鴨も低く飛ぶため良いように思えますが、低く刈りすぎると鴨から猟師が丸見えになってしまいます。そのため例年、猟期が近づくと、松の木をどれくらい刈るのか、ベテラン猟師の間で喧々諤々のやりとりが行われるのだとか。

片野鴨池での、カモたちの暮らし

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

カモたちは夜行性のため、お昼は鴨池で休憩をしています。

「鳥目」という言葉があるように、鳥は夜には目が見えないと思われがちですが、夜行性の鳥は結構多く、カモたちもその種類のひとつです。

反対に、ガンやハクチョウなどは昼行性なので、日中は餌を食べるために近くの水田へ行っており、夕方暗くなる頃に鴨池に帰ってきます。

そうすると、今度は入れ替わるようにカモたちが飛び立つのです。
そして夜の間、カモたちは周辺の水田に落ち穂などを食べに行き、朝になると帰ってくるというわけです。

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

この夕方のカモたちが飛び立つ時の坂網鴨猟を「夕坂」、帰ってくる時を「朝坂」と呼びます。朝、帰ってくる時の鴨は、飛び立つ時よりもスピードが速く、ジグザグに飛ぶこともあって、「朝坂」は「夕坂」に比べて難易度が高いのだそうです。

片野鴨池の歴史

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

片野鴨池は、江戸時代は単に「大池」と呼ばれていました。

昔は片野鴨池から流れる小川があったのですが、年々、砂が押し出されて川が埋もれてしまったため池に水がたまり、周囲の水田が埋まってしまいました。
そこで、延宝6年(1678)2月、大聖寺藩2代藩主・前田利明の時代に、家老の神谷内膳の提言で堀貫工事をしました。結果、水が流れて池の水位は低くなり、水田も復活しました。

これは魚屋長兵衛という町人が、3貫850目(現在価値で2,000万円程度)で工事を請け負い、成功させたといいます。

坂網鴨猟の舞台。片野鴨池とカモたち
写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

池周辺の水田は、膝までつかる深田だったため農作業は大変でしたが、冬の間の鳥たちのフンが肥料となって、豊かな実りをもたらしてくれました。

また当時の人々は、雨乞いをする時に、この池で行なったとも言われています。

片野鴨池の伝説

『三州奇談』という、加賀・能登・越中3ヶ国の珍しい出来事を集めた本があります。

これによると、片野の鴨池は海が近い山にあり、池は山の中に7つあって怪しいことがよく起こったのだそうです。

たとえば、夜中に数百人の人が、池の上で焚き火をして語りあっていたのを見た。

また、池に釣りをしに行ったところ、水が知らないうちに増えてきた。とりあえず4・5mほど後ろに下がったけれど、どんどん増えてくるので慌てて逃げた。200mほど走って振り返ると、銀色の子供の龍が池の上にあらわれた。
また池には大きな龍の道があって、その龍が大きな顔を出して、行ったりきたりしたという話が残っています。

片野鴨池の活用のされ方

写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

片野鴨池は、夏と冬でその姿を大きく変えます。

本来の姿は夏の姿で、広さは約2.5ヘクタールしかありません。夏は池の水を農業用水として活用しているためです。

写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

しかし秋になって水門を閉じ、水をはると7ヘクタールを超える池に変貌します。

写真:「坂網猟 人と自然の付き合い方を考える」より

こうして、カモたちを迎え入れる準備ができるわけですが、この水門を管理する作業や、夏の間に生えた草の刈り取りなどは、坂網鴨猟の猟師たちの仕事です。
片野鴨池の環境は、地域住民と猟師たちの手によって今も守られているのです。

現在、片野鴨池には観光・自然保護・自然観察を結びつける施設として、鴨池観察館がオープンしています。坂網鴨猟の網の展示などのほか、レンジャーの解説を聞きながらの野鳥観察ができます。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

参考文献

  • 『片野鴨池と坂網猟』(加賀市片野鴨池坂網猟保存会、2001年)
  • 『坂網猟に係る民俗文化基礎調査報告書』(加賀市片野鴨池坂網猟保存会、2016年)
  • 『三州奇談』(石川県図書館協会、1933年)
  • 『加賀志徴』(石川県図書館協会、1969年)
  • 『石川県江沼郡誌』(江沼郡役所、1925年)
  • 『大聖寺藩史』(大聖寺藩史編纂會、1937年)